TORN
初めてあの人をみたのは、もうずっと前のこと。
彼はいつも冷たい表情、冷たい瞳をしていて仲間にすら人間的な表情を見せることはまれだった。
だけどいつだったか、あたしは彼の「冷たい瞳」に何かを感じたことがある。その瞳はまっすぐにあたしをとらえ、あたしの心の深いところに入ってきた。
そう、今でもずっと、そのまま。
日が沈む刻だった。
「キーストーンが手に入ったそうだな。」
こちらに背を向け、ガラス張りの大きな窓の外に目をやったまま、ルーファウスは言った。ツォンは黙って次の言葉を待った。ルーファウスは振り向く。
「セフィロスはきっと古代種の神殿に来る。おそらくクラウド たちも。」
窓から差し込む日の光を浴びて、ルーファウスの金髪はいっそう美しく見える。ツォンはやや目を細める。だがルーファウスから目を逸らそうとしない。
「奴らより先に古代種の神殿へ行け。」
「了解しました。」
迷うことなくツォンは応え、社長室を出て行った。
残ったルーファウスはもう一度、窓の外へ目を向けた。
「んじゃ、俺たちはそろそろあがりますよ、と。」
レノは言ってデスクを立った。ルードもそれに倣う。
「ご苦労だったな。また明日も頼む。」
奥の方のデスクで仕事をしていたツォンはレノとルードに言った。
「ん…イリーナは?帰んないのかな、と。」
「あたしはもう少し…この報告書、どうしても書き上げたいんで。」
傍らのデスクで、動かす手を止めぬままイリーナは言った。
「そうか。…お先に、と。」
「……失礼します。」
レノとルードは部屋を出て行った。
残った二人はそのままそれぞれの仕事をしていた。
「少し休んだらどうだ?今日はずっとデスクに向いっぱなし だろう。」
しばらくしてからツォンが言った。
「は、はい。でもツォンさんは?」
「慣れているさ。」
「そ、そうですか。」
イリーナはデスクを立つと、「すぐ戻りますね」と言って隣の部屋に入って行った。
ツォンはその姿を見送ると、仕事を続けた。
書類に目を通し、必要があれば記入し、分類別に整理する。
ツォンはいつも通りの仕事をしていた。「いつも通り」でいたいと思っていた。 明日は古代種の神殿へ向かう。
もしセフィロスに会ったら、自分の身に降りかかってくるものーーーそれは死、のみだ。だがツォンは「もしこうなってしまったら…」という考えはしたくなかった。あくまで仕事に没頭していたかった。
「あの…、」
遠慮がちなイリーナの声がして、ツォンは顔を上げた。自分のデスクのすぐ傍に、イリーナは控えていた。
「どうぞ。インスタントですけど…。」
と言ってイリーナはコーヒーの入ったカップをツォンに差し出した。 ツォンはイリーナを見た。不安そうに、でもまっすぐに彼女は自分を見つめていた。
「ありがとう。」
ツォンはカップを受け取り、口元へ運ぶ。
「うまいコーヒーだ。…本当言うと少し疲れていたんだ。ありが とう、イリーナ。」
「い、いえ、そんな。」
イリーナは耳元の髪をかきあげて目を逸らした。そして安堵の笑みをこぼす。 ツォンはデスクにカップを置き、書類を
全てしまうと改めてイリーナの方を見た。
「明日、古代種の神殿に調査に行く。イリーナ、君も一緒に来てくれないか?」
「あ、あたしが、ですか?」
慌てふためいたイリーナを見てツォンは頷く。そしてそのまま返事を待つ。 イリーナは両手を胸の前で組み、じっと考えていた様子だったが、やがて決意してツォンにこう告げた。
「行きます!」
「そうか。」
イリーナの返事にツォンは微笑った。
「?!…ツォンさん?」
「どうした?」
驚いた顔のイリーナに、ツォンは目を細めて訊く。 いつも冷静で物事に動じない、タークスの主任が自分に笑顔を見せてくれるなんて。 イリーナは驚きが喜びに変わるのを感じていた。
喜びは次の日にもあった。
「イリーナ、この仕事が終わったら一緒に食事でもどうだ?」
古代種の神殿の調査中に、ツォンはイリーナに言った。
「は、はい!喜んで!」
憧れの人からの申し出を断るはずがない。イリーナは自分でもよくわかっていた。
「それじゃ、先に本社に戻ります。」
イリーナはツォンより先にミッドガルに向かった。
足取りは軽かった。靴の踵が軽快に辺りに響く。
そしてツォンは戻ってこなかった。
イリーナは部屋を飛び出した。足が少し震えているのがわかる。顔色もきっとひどいことだろう。
長い廊下のずっと向こうからルーファウスが歩いてくるのが見えた。傍にはレノとルードもついている。
「社長!」
イリーナは叫んでルーファウスの元へ駆けて行った。
「どうしたんだ?血相を変えて。」
落ち着いた口調でルーファウスは言った。イリーナは呼吸を整え、搾り出すように言った。
「ツォン主任が…死亡しました。」
レノとルードはわずかに俯く。しかしルーファウスは顔色ひとつ変えない。
「知らせは聞いていた。気の毒なことをした。」
それだけ言うと、イリーナの横を通りすぎようとしたが、
「ま、待ってください!」
イリーナがそれを引きとめた。
「他には…他には何も言うことはないんですか?」
「さあ…特にないな。」
冷たい言葉だった。 カッとなったイリーナは、ルーファウスに掴みかかるようにして叫んだ。
「人のことを…ツォンさんのことを何だと思ってるんですか?!」
イリーナの頬を涙が伝う。
「……落ち着け、イリーナ。」
ルードがイリーナを止める。しかしそんなことは気にも留めないように、イリーナは叫び続けた。
「あなたのワガママのせいで一体何人の人が死んだと…」
「イリーナ!!」
レノが叫び、イリーナの頬を張った。
「あ…」
イリーナは瞳を見開く。レノはキッとイリーナを見据え、目を逸らさない。 沈黙が流れた。 誰も何も言わない。
イリーナはすでに赤くなり始めている左頬をさすると、ルードの腕を振り払って駆け出した。
「…どうもすみません。よく注意しときますよ、と。」
レノはルーファウスに謝った。
「いや。わがままだ、と自分でも思う。周囲の奴らだって みんなそう思ってる。だけど誰も口には出さない。はっきり と言葉にしたのはあいつが初めてだな。」
そう言ってルーファウスは苦笑した。
自室にこもり、ベッドに突っ伏したままイリーナは泣いた。
…ツォンさん、いつも冷静沈着なあなたは何も恐れることのない表情をしてた。だけど、古代種の神殿に行く前ーーー、あたしに笑顔を見せてくれた時、あなたは怯えていたんじゃないでしょうか?
今となっては真実を知る者は誰もいない。彼女は自分の思いを信じ、またそうであってほしいと願っていた。
なぜなら、「彼」はヒトであるから。
数日が経った。
「イリーナ!」
廊下で呼び止められ、イリーナは振り向いた。そこには
レノの姿があった。
「先輩…。あ、この前はその…取り乱してしまって、どうもすみませんでした。あとで社長にも謝りに行きます。」
「ん?あぁ、そのことなら、もう別に…」
レノは二、三度頭を掻くとイリーナに言った。
「イリーナ。今日、仕事のあと一緒に食事でもどうかな、と。」
「え〜?!どうしたんですかー?急に。」
イリーナが驚きの声をあげるとレノは真っ赤になって言った。
「別にイヤならいいんだぞ、と。」
「あ、行きます!行きますってばー!」
イリーナが慌てて言ったのを見てレノは苦笑し、呟いた。
「イリーナ、俺…」
言いかけてレノは俯いた。
「? どうしたんですか?」
「いや、何でもないぞ、と。 さ、仕事だ、仕事。」
顔を上げ、レノは去って行った。
変なの、と思いつつ、イリーナも仕事場に向かった。
誰もいない廊下で、レノはそっと独り言を言った。
「俺…お前みたいになりたいぞ…と。」
〜 END 〜